国際芸術祭の公式用語集に「たむろする」が載っていた|『documenta fifteen Handbook』とlumbungの話

国際芸術祭の公式用語集に「たむろする」が載っていた|『documenta fifteen Handbook』とlumbungの話

アムの本棚に、『documenta fifteen Handbook』という厚めの本があります。2022年にドイツで開かれた芸術祭の、公式ハンドブックです。以前 #みんなのしおり のコーナーで一度ご紹介した一冊なのですが、そのときは数行の紹介文だけだったので、今日はもう少しだけ書いてみます。

この本がおもしろいのは、展示された作品の写真集ではなく、「どうやってみんなで作ったか」のほうを主役にしている点です。そしてその方法の名前が、インドネシア語の日常語からとられています。

5年に一度、ドイツの街でひらかれる展覧会

ドクメンタ(documenta)は、ドイツ中部の街カッセルで5年に一度開かれる現代美術の展覧会です。第1回は1955年。画家であり教師でもあったアルノルト・ボーデが中心となって始めました。

もともとは連邦園芸博覧会(Bundesgartenschau)に付随する企画としてスタートしたそうです。それが13万人以上を集め、以降、5年ごとに続く大きな展覧会になりました。ボーデは、ナチス時代に「退廃芸術(Entartete Kunst)」として排除された表現主義やキュビスムなどの作品を、あらためて公衆の前に出そうとしました。戦後のドイツに近代美術を置き直す、という意味あいを持った出発でもあったわけです。

2022年、進行役をつとめたのはジャカルタの集団

その15回目、2022年のドクメンタで芸術監督をつとめたのが、インドネシア・ジャカルタのアーティスト・コレクティブ「ruangrupa(ルアンルパ)」です。2000年に7人のアーティストによって設立された集団で、名前は直訳すると「アートスペース」あるいは「かたちの空間」といった意味になるとのこと。

個人のキュレーターではなく集団が全体の進行役になった、というだけでもう十分に変わっているのですが、彼らが持ち込んだ考え方のほうがもっと変わっていました。

lumbung(ルンブン)は、みんなの米倉のこと

ドクメンタ15の全体を貫くキーワードが「lumbung」です。公式サイトの用語集には、こう説明されています。

インドネシア語で「米倉」を意味する。インドネシアの農村では、余った収穫は共同の米倉に蓄えられ、みんなで決めた基準にしたがって、共同体のために分配される。

余ったものを、個人で抱えずにいったん共同の倉へ入れる。そして配り方は、あとから誰かが決めるのではなく、あらかじめみんなで決めておく。それを芸術祭の運営そのものに当てはめたのが、この回でした。

予算も、展示のスペースも、人手も、招かれた各国のコレクティブが持ち寄って分け合う。ruangrupa自身は「lumbungはコンセプトではなく実践だ」という言い方をしています。作品を並べるための理念ではなく、お金と場所の配り方の話なので、たしかにそのとおりだと思います。

ノンクロン——たむろすること

もうひとつ、公式の用語集に載っている言葉があります。

nongkrong(ノンクロン)は、ジャカルタのインドネシア語のスラングで、「一緒にたむろすること」を意味する。

国際的な芸術祭の公式用語集に「たむろする」が載っている。ここが個人的にいちばん驚いたところでした。

同じ用語集には、社会の交流拠点として機能するインドネシアの街の喫茶店「warung kopi(ワルン・コピ)」や、定期的に開かれる集まりを指す「majelis(マジェリス)」も並んでいます。会議の名前と、たむろすることの名前が、同じ地平に置かれている。何かを決める場と、なんとなく集まっている場を、切り分けていないわけです。

「友だちをつくろう、アートではなく」

ruangrupaのスローガンとして知られているのが「Make friends, not art(アートではなく友だちをつくろう)」という一文です。ドクメンタ15でも、この言葉が展覧会のトーンをよく表すものとして繰り返し引かれました。

会場の案内役をつとめたスタッフはインドネシア語で「友だち・仲間」を意味する sobat から「Sobat-Sobat」と呼ばれていました。呼び名ひとつとっても、来場者を客として案内するのとは違う関係を目指していたことが分かります。

大きな論争もあった回でした

この回について書くなら、触れないわけにいかないことがあります。2022年6月、参加コレクティブのひとつタリン・パディ(Taring Padi)による大型の垂れ幕作品「People’s Justice」に、反ユダヤ主義的とされる図像が含まれていることが指摘され、大きな批判を受けて撤去されました。作者側はインドネシアの政治史を背景にした作品であり反ユダヤ主義の意図はなかったと説明しましたが、作品は覆いをかけられ、翌日には取り外されています。

ドクメンタ15は、共同でつくることの可能性が語られた回であると同時に、この件をめぐる議論が長く続いた回でもありました。ハンドブックを読むときにも、そこは切り離さずに置いておきたい部分です。

本としてのハンドブック

『documenta fifteen Handbook』は2022年にハッチェ・カンツ(Hatje Cantz)から出た英語の本で、304ページ、写真は150点ほど。編者はruangrupaです。

中身は「lumbungとは何か」を軸に組み立てられていて、参加した作家やコレクティブが、作品ではなく制作や協働のプロセスのほうから紹介されています。カッセルの会場をめぐる章もあり、展覧会のガイドブックとしても読めるつくりです。

すでに終わった芸術祭のガイドブックなのに、いま読んでも古びないのは、書いてあることの多くが「作品の見どころ」ではなく「集まり方の手順」だからだと思います。

本書は洋書で、日本語版はありません。それでも図版が多く、コレクティブの紹介ページはひとつずつ短いので、開いて眺めるだけでもけっこう楽しめます。アムに来られたときに、本棚から抜いてみてください。

金沢で現代美術を見てまわりたい方にはアートスポットをまとめたページを、人が集まって働く場所そのものに興味がある方には石川のコワーキングスペースをまとめたページもあります。

参考にした資料