虫聴き(むしきき)とは?|虫の声を音楽として聴く、千年つづく日本の耳を、はじめての方にやさしく解説

虫聴き(むしきき)とは?|虫の声を音楽として聴く、千年つづく日本の耳を、はじめての方にやさしく解説

八月の終わり。夜、窓を少し開けてみてください。

リーン、リーン。チンチロリン。ジー、ジー。まだ昼は暑いのに、暗くなると音が変わっています。蝉のかわりに、秋の虫が鳴きはじめる頃です。

日本には、この音をわざわざ聴きに出かける習慣がありました。虫聴き(むしきき)——晩夏から初秋にかけての、季節の娯楽です。江戸の人びとは弁当を持って、夜の野原へ出かけました。虫の声を、音楽として聴くために。

この記事でわかること

  • 「虫聴き」は、鳴く虫の声を鑑賞するために野へ出かける季節の楽しみだったこと
  • この文化が、少なくとも奈良時代(『万葉集』)までさかのぼれること
  • 平安の貴族には「虫選び」「野放ち」といった遊びがあったこと
  • 江戸では庶民の娯楽になり、「虫売り」という商売まで生まれたこと
  • これは日本だけの文化ではなく、中国にも古くからあること(正直な話)
  • 今も、虫の音が「守りたい音」として選ばれていること
  • 今夜、道具なしで虫聴きをする方法

虫聴きとは——聴くために、出かける

虫聴きは、鈴虫や松虫、こおろぎ、轡虫(くつわむし)といった鳴く虫の声を聴くために、野や丘へ出かける行楽です。

花見が「見るために出かける」なら、虫聴きは「聴くために出かける」。夕方から夜にかけて、涼みがてら歩き、草むらから届く声に耳をすませる。それだけの遊びです。

ここでいう「虫」は、いわゆる昆虫全般ではありません。昆虫学者の梅谷献二氏の解説によれば、日本で単に「花」といえば桜を指したように、単に「虫」といえば、コオロギ科(鈴虫、松虫、閻魔こおろぎ、鉦叩きなど)やキリギリス科(キリギリス、轡虫など)の秋に鳴く虫を指したといいます。多くは晩夏に成虫になり、雄が雌を呼ぶために鳴きます。求愛の声を、人が横で聴かせてもらっていたわけです。

いちばん古い記録は、奈良時代

この文化がいつ始まったのかは、はっきりしません。ただ、現存する最古の歌集『万葉集』(8世紀後半)に、「こおろぎ」を詠んだ歌が7首残されていることから、少なくとも奈良時代にはさかのぼれる、と考えられています。

ただし当時の「こおろぎ」は、今のコオロギ一種を指す言葉ではなく、鳴く虫の総称として使われていたらしい、とされます。名前で区別する前に、まず「鳴く虫」というひとまとまりの存在として愛でられていた、ということかもしれません。

平安時代——虫を選び、庭に放つ

平安時代になると、鳴く虫をカゴに入れて声を楽しむことが貴族のあいだで流行します。そして、いくつかの遊びが生まれました。

  • 虫選び(むしえらび)……嵯峨野や鳥辺野といった野へ出かけ、松虫や鈴虫を捕らえてカゴに入れ、宮中へ献上する
  • 野放ち(のばなち)……捕らえた虫を自分の庭に放して、声を楽しむ
  • 虫聞き(むしきき)……野に出て、そのまま聴く

捕まえて、放して、聴く。ずいぶん手のこんだ遊びですが、庭に虫を放つというのは、音のために風景をととのえるという発想です。

清少納言の『枕草子』には、好ましい虫として「すずむし、松虫、きりぎりす、はたおり」の四種が挙げられています。紫式部の『源氏物語』には「鈴虫」という巻があり、松虫を捕ってきて庭に放したり、鈴虫の声を聞きながら酒宴をひらいたりする場面が描かれます。

ここで、ややこしい話をひとつ。古典に出てくる「鈴虫」と「松虫」は、今とは名前が入れ替わっているのではないか——という指摘が江戸時代からあり、長く定説とされてきました。ただし梅谷氏によれば、現在でも「逆転はなかった」とする昆虫学者もいて、決着はついていません。同じく『枕草子』の「きりぎりす」は現在のコオロギ類、「はたおり」が現在のキリギリスを指すと考証されています。千年前の人がどの声を褒めていたのか、実ははっきりしない。それくらい、名前と音の結びつきはゆらぎやすいものです。

江戸時代——庶民の夜遊びになる

この楽しみが広く庶民のものになったのが、江戸時代です。

いちばんの名所として知られたのが道灌山(どうかんやま)——現在の東京都荒川区西日暮里のあたりです。天保年間に刊行された江戸のガイドブック『江戸名所図会』(斎藤月岑編・1834年、1836年刊)には「道灌山聴蟲(どうかんやまむしきき)」として紹介され、歌川広重も「道灌山虫聞之図」を描いています。1864年(元治元年)の錦絵「江戸自慢三十六興」にも「道灌やま虫聞」が入っています。

浮世絵の題材になるということは、それだけ「江戸といえばこれ」という景色だったということ。桜の名所として有名な飛鳥山なども、秋には虫聴きの場になったと伝えられます。

そして江戸中期には、虫売りという商売が成立しました。市松模様の屋台に虫カゴを並べて売り歩く——それが虫売りの目印だったといいます。鈴虫では飼育技術がとても発達し、越冬中の卵を暖めて早い時期に出荷する方法まで編み出されました。虫カゴも、素朴な竹細工から、大名家が使う蒔絵のほどこされた豪華なものまで作られています。

声を聴くために、道具が生まれ、職業が生まれた。ひとつの音が、経済をつくっていたわけです。

正直な話——日本だけの文化ではありません

ここは、はっきり書いておきたいところです。

「虫の声を愛でるのは日本人だけ」と言われることがありますが、正確ではありません。梅谷氏の解説によれば、中国では少なくとも唐の時代(8〜9世紀)から、宮廷の女性たちが鳴く虫を飼って声を楽しんでいたとされ、この文化は日本と中国の両方にあります。

違いがあるとすれば、育ち方のほうです。飼育容器は、日本では竹籠が主ですが、中国ではヒョウタンや木製の密閉型が多い。中国には小さな虫を容器ごとポケットに入れ、歩きながら声を楽しむ習慣がありますが、日本にはありません。逆に、中国で12世紀の宋代にさかのぼる闘蟋(とうしつ)——こおろぎを闘わせる遊び——は、ついに日本へ伝わりませんでした。

梅谷氏は、この文化は日本と中国でおそらく別々に生まれ、それぞれ独自に発達したものだろう、と書いています。同じ音を、離れた場所で、別々に好きになった。そう考えるほうが、ずっと面白い気がします。

音を、文字にする

もうひとつ、日本の虫聴きの特徴をあげるなら、声を文字にしてしまうことかもしれません。

1910年(明治43年)の『尋常小学読本唱歌』に初出の唱歌『虫のこえ』は、「あれ松虫が鳴いている」と歌い出し、松虫を「ちんちろりん」、鈴虫を「りんりん」と写しとっていきます。轡虫は「がちゃがちゃ」、馬追(うまおい)は「すいっちょん」。作詞者・作曲者は公にされていません。

この歌が今も小学校で歌われているおかげで、日本で育った人の多くは、虫の名前を音のかたちで覚えています。姿を見たことがなくても、「ちんちろりん」と聞けば松虫だとわかる。文字にすることで、聴き方そのものが受け継がれてきました。

今も、残したい音として

1996年、当時の環境庁が「残したい日本の音風景100選」を選定しました。全国から公募して選ばれた100件の「音」です。

そのなかに、虫の声が三つ入っています。宮城野のスズムシ(宮城県仙台市)、荒川・押切の虫の声(埼玉県熊谷市)、彦根城の時報鐘と虫の音(滋賀県彦根市)。

「残したい」という言葉には、失われつつある、という含みもあります。虫売りは高度成長期を境に衰えました。それでも、地域の人が「この音は守りたい」と手を挙げた場所が、日本各地にあるということです。

今夜、そっと触れるには

虫聴きに、道具はいりません。チケットもいりません。

夜、エアコンをいちど止めて、窓を開けてみてください。数分でいいので、何もせずに、聴いてみる。

名前がわからなくても、まったくかまいません。千年前の人も、まとめて「こおろぎ」と呼んでいたくらいです。高い声と低い声がまざっていること、途中で止まってまた鳴きだすこと——それに気づくだけで、もう虫聴きになっています。

もし外へ出られるなら、街灯の少ない道を少し歩いてみてください。江戸の人が弁当を持って夜の野原へ出かけたのは、たぶん、それが気持ちよかったからです。

おわりに

虫の声は、こちらへ向けて鳴かれているわけではありません。人に聴かせるための音ではなく、虫が虫の用事で出している音です。

それを、勝手に美しいと思って、名前をつけて、歌にして、千年ぶんの言葉を積み上げてきた。虫聴きというのは、つまり自分に向けられていない音を、それでも聴くという習慣のことなのだと思います。

八月の終わり。音が入れ替わる時期です。今夜、窓を開けてみてください。