「春の七草」は聞いたことがある、という方は多いかもしれません。お正月明けにおかゆに入れて食べる、あの七草です。
では、秋の七草はどうでしょう。
じつはこちらは、食べません。摘んで、煮て、口に入れる草ではないのです。ではなぜ「七草」と呼ばれ、千三百年ものあいだ数えられてきたのか。お盆が過ぎ、暦の上ではもう秋に入ったこの季節に、そっとたどってみます。
この記事でわかること
- 秋の七草は「食べる七草」ではなく「見る七草」であること
- もとになったのは、万葉集にある二首の歌だということ
- 七つの花の名前と、その姿
- 七つめの「朝貌(あさがお)の花」が何なのか、まだ決着していないこと
- 七つのうち一つは、今の日本では探すのが難しくなっていること
- 今日、秋の七草にそっと触れるには
指を折って、数えた人がいた
今からおよそ千三百年前。山上憶良(やまのうえの・おくら)という歌人が、秋の野に立って、咲いている花を指で折りながら数えました。
そうしてできた歌が、日本最古の歌集『万葉集』の巻八に、二首ならんで残っています。
一首めは、こう。
秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種(ななくさ)の花
——秋の野に咲いている花を、指を折って数えてみたら、七種類あった。
ただそれだけの歌です。何かを教えようとしているわけでも、感動を語っているわけでもありません。数えた。七つあった。それだけ。
そして続く二首めで、憶良はその七つの名前を並べます。
萩の花 尾花 葛花 なでしこの花 をみなへし また藤袴 朝貌の花
五・七・七を二度くり返す、旋頭歌(せどうか)という形です。名前を七つ並べただけの歌が、そのまま千三百年、日本の秋の目録になりました。
七つの花
並べられた七つを、今の呼び名でたどってみます。
- 萩(はぎ)——枝がしなだれ、小さな紅紫の花を無数につけます。秋の彼岸のころに咲く、いちばん秋らしい花のひとつ
- 尾花(おばな)——ススキのこと。穂が動物の尾に似ているのでこの名があります
- 葛(くず)——つる草。夏の終わりに赤紫の花を房で咲かせます。根からとれるのが、あの葛粉です
- 撫子(なでしこ)——花びらの先が細く裂けた、淡い紅の花。「撫でたいほどいとしい子」が名の由来といわれます
- 女郎花(おみなえし)——黄色い小花が、霞のように群れて咲きます
- 藤袴(ふじばかま)——淡い紫の小花。乾かすと桜餅のような甘い香りが立ちます
- 朝貌(あさがお)の花——これが、難しい
七つめは、誰なのか
最後の「朝貌の花」が何を指すのかは、いまだに決着していません。
候補として挙げられてきたのは、桔梗(ききょう)、木槿(むくげ)、昼顔(ひるがお)、そして現在のアサガオ。このうち桔梗とする説をとる場合がもっとも多いとされ、多くの辞典もそう記しています。ただし、これはあくまで有力説であって、確定ではありません。
千三百年前の人が「あさがお」と呼んだ花を、私たちはもう、正確には指させない。秋の七草には、そういう空白がひとつ、最後に残されています。
ちなみに七つを覚えるための語呂合わせとして、「ハスキーなお袋」——ハ(萩)ス(ススキ)キ(桔梗)ナ(撫子)オ(女郎花)フ(藤袴)ク(葛)——がよく知られています。ここでも七つめは桔梗として数えられています。
春は食べる、秋は見る
春の七草は、七草がゆという明確な使い道があります。若菜を刻んで、おかゆに入れて、一月七日に食べる。
いっぽう秋の七草は、七種をまとめて何かに使うということがありません。目的は、観賞。眺めることそのものが、この七草の役目です。
もちろん、葛の根から葛粉をとるように、一つひとつには昔からの使い道があります。けれど「七草として」何かをする行事は、秋にはないのです。
食べるためでも、供えるためでもなく、ただ「秋の野には、これだけの花が咲いている」と確かめるために七つを数える。憶良がしたのは、そういうことでした。
今、七つそろえるのは難しい
ひとつ、正直に書いておきたいことがあります。
七草のうち藤袴(ふじばかま)は、環境省のレッドリストで準絶滅危惧——絶滅の危険が増している、と評価されている植物です。
もともと藤袴は、川沿いの氾濫原(はんらんげん・水があふれて土を運ぶ場所)のような、湿った草地に育つ花でした。護岸工事や河川改修で川があふれなくなり、土地が乾き、背の高い草に覆われるうちに、育つ場所そのものが減っていったと説明されています。
千三百年前は、秋の野に立てば指を折るだけで七つそろった。今は、そのうち一つを探すのが難しい。歌が変わったのではなく、野のほうが変わりました。
今日、秋の七草にそっと触れるには
特別な場所へ行かなくても、いくつかはすぐ近くにいます。
まず、ススキ。土手や空き地でよく見かけます。お月見のときに飾られるのも、この尾花です。
次に、葛。夏の終わりから、フェンスや斜面をつるで覆っている、あの大きな葉の草です。よく見ると、葉のかげに赤紫の花が房で立っています。強すぎて厄介がられることもある草ですが、憶良はこれを七つに数えました。
そして、指を折ってみること。花の名前を全部言えなくてもかまいません。歩きながら、今日いくつ花を見たか数えてみる。千三百年前の歌人がしたのは、それと同じことでした。
おわりに
秋の七草は、役に立ちません。食べられないし、行事もありません。
それでも千三百年、数えつづけられてきました。誰かが「七つある」と言い、次の誰かが自分の指で確かめた。その積み重ねだけで、この七つは残っています。
秋の入り口に、道ばたの花をひとつ見つけたら。名前がわからなくても、指を一本折ってみてください。それはもう、憶良と同じことをしている時間です。

