文庫本の背にある★は、値段だった|岩波文庫とレクラム文庫の話

文庫本の背にある★は、値段だった|岩波文庫とレクラム文庫の話

古い岩波文庫を手に取ると、背表紙のいちばん下に「★」が並んでいることがあります。ひとつのものもあれば、三つ四つ続いているものもある。装丁の飾りかと思っていたのですが、あれは定価の表示でした。

今日は、文庫本の背についていた星の話です。たどっていくと、1867年のドイツまでつながっていました。

★ひとつ、二十銭

岩波書店が公開している「文庫豆知識」に、はっきりと書かれています。創刊当時の岩波文庫の定価は、約100ページを★ひとつとし、★ひとつにつき20銭。ページ数がそのまま値段になる仕組みです。

実例も挙げられていて、こうなっています。

  • 『五重塔』94ページ → ★ひとつ、20銭
  • 『こころ』240ページ → ★ふたつ、40銭
  • 『戦争と平和(一)』546ページ → ★五つ、1円

本の厚みと値段が一対一で対応しているので、書店の棚に並んだ背表紙を見るだけで、だいたいの厚さも、払う金額も分かる。値札を見る必要がありません。

この「★ひとつ20銭」は、創刊から1943年いっぱいまで維持されました。16年間、値段が動いていないことになります。その後はインフレを反映して★の中身のほうが変わっていき、1950年に★ひとつ30円、1962年に50円、1973年に70円、1975年に100円。そして1981年4月の新刊から、星による定価表示はやめて金額表示になりました。50年以上続いた仕組みが、そこで終わっています。

星はドイツから借りてきた

この星の仕組みは、岩波文庫のオリジナルではありません。手本にしたドイツのレクラム文庫が、先にやっていたことでした。

レクラム文庫(Reclams Universal-Bibliothek)は、ゲーテ『ファウスト』を第1巻として1867年に創刊されたドイツの小型廉価本シリーズです。ライプツィヒのレクラム出版社が始めました。

創刊のきっかけが少し変わっています。同じ1867年に、著作権の保護期間を著作者の没後30年と定めた法律が発効しました。その結果、それ以前に亡くなった作家の作品には印税を払わなくてよくなり、古典文芸の廉価版シリーズが一斉に出はじめたのです。レクラム文庫はそのなかから、堅実な編集と厳密な校訂、全品ばら売りという方針で評判を得て、やがてドイツ人の「教養の規範」とまで呼ばれるようになりました(日本大百科全書)。

そのレクラム文庫が、各巻の背表紙に星印をつけて、一目で価格が分かるようにしていた。岩波文庫を紹介する連載「岩波文庫百話」でも、1928年に刊行されたレクラム文庫の背表紙の地に「★★★」と刷られている実物が紹介されています。日本の文庫の背に並んでいた星は、ここから来ていました。

1927年7月10日

岩波文庫の創刊は1927年(昭和2年)7月10日。A6判・仮とじの小型本で、範をレクラム文庫にとって計画されたことが、当時から明言されています。夏目漱石『こころ』や幸田露伴『五重塔』、樋口一葉『にごりえ・たけくらべ』といった作品が最初期に並びました。

創刊にあたって出された宣言文が「読書子に寄す——岩波文庫発刊に際して——」です。岩波書店の創業者・岩波茂雄の名前で発表されていますが、草稿を書いたのは哲学者の三木清だと伝えられています。

その冒頭近くに、「真理は万人によって求められることを自ら欲し」という一節があります(岩波茂雄「読書子に寄す」青空文庫)。少数の書斎や研究室に閉じ込められていた本を、値段と大きさの両方で、外に出す。星の表示も、そのための道具立てのひとつだったのだと思います。

小さいことには理由がある

文庫本が手のひらに収まるサイズなのは、可愛いからでも省スペースだからでもなく、もともと「安く、たくさんの人に、持ち歩けるかたちで」という目的が先にあったからでした。判型も、価格の表示方法も、そこから逆算されたものです。

ページ数がそのまま値段になる★の仕組みは、いま見ると不便に思えるかもしれません。ただ、内容の格ではなく紙の量で値段が決まるというのは、ずいぶん平らな考え方でもあります。名作だから高い、ということが起きない。

アムは金沢・東山にある小さな本のある場所で、席で本を広げて過ごしている方もいれば、街歩きの途中に立ち寄って一息つく方もいます。文庫本はもともと、そういう移動の途中で読まれるために作られた本です。ひがし茶屋街あたりを歩く日の持ち物としては、たぶん今でもいちばん理にかなっています(このあたりの歩き方は ひがし茶屋街のページ にまとめてあります)。

本にはさむ紙片のほうの来歴は、以前 「しおり」はもともと山道の目印だった に書きました。背の星と、はさまれたしおり。本の周りには、読むこと自体とは少し違うところに、こまごまとした工夫が残っています。

参考にした資料