「積読」は1879年にはもう使われていた|読まずに積まれた本の来歴

「積読」は1879年にはもう使われていた|読まずに積まれた本の来歴

買ったまま読んでいない本が、机の上に何冊か積んである。そういう状態を指す「積読(つんどく)」ということば、なんとなく最近の言い回しのような気がしていたのですが、調べてみたら明治のはじめにはもう使われていました。

今日は、この小さなことばの来歴をたどってみます。読まずに積まれた本のための、ささやかな弁護でもあります。

1879年の雑誌に、すでに「積讀先生」がいた

国立国会図書館のレファレンス協同データベースに、まさに「『積読』はいつから使われているのか」を調べた記録が残っています。そこで確認されている明治期の用例が、1879年(明治12年)6月7日の小雑誌『昌平余聞東京新誌』150号。「皮相開化積讀先生」という記事があり、「積讀」に「ツンドク」とルビが振られています。

タイトルからして、うわべだけ文明開化した気になっている先生への皮肉です。本をたくさん持っているけれど読んではいない人物を、当時からこうやってからかっていたわけです。

もう少し下って1906年(明治39年)の『俚諺辞典』には、「積讀法(つんどくはふ)」という項目がこう説明されています。「積んで置く法のつゞまりにて書籍を購ひて讀まず徒に積み置くをいふ。」——「積んでおく」を縮めた言い方で、本を買って読まずにいたずらに積んでおくこと。今使われている意味と、ほとんど同じです。

誰が言い出したのかについては、経済学者の田尻稲次郎(田尻北雷)や、学者の和田垣謙三など複数の説が挙げられています。ただ、レファレンス協同データベースの回答も「初出は特定できなかった」と結んでいて、はっきりしたことは分かっていません。

江戸時代には「三読法」という言い方があった

ことばよりも、状態のほうが先にありました。

1788年(天明8年)刊の『千年草』には「つんどく」という表記があり、「積んどく、見せるだけのこと」という注が添えられています。読むためではなく、見せるために積む。この用法、江戸の時点ですでに完成しています。

さらに、1936年発行の『書物語辞典』には「江戸時代すでに朗読・黙読・積置を書の三読法と称した」という記述があります。声に出して読む、黙って読む、積んでおく。この三つが並列で「読み方」として数えられていたということになります。積んでおくのも読書のうち、という理屈です。

海を渡って「tsundoku」になった

このことばは2010年代に英語圏で紹介され、そのまま tsundoku として使われるようになりました。よく知られているのが、2018年7月29日にBBC Newsが出した記事「Tsundoku: The art of buying books and never reading them」です。

記事の中で、ロンドン大学で日本の古典籍を研究するアンドリュー・ガーストル教授が、「積ん読先生」という言い方が1879年の文章に見えることに触れています(研究者・森銑三の指摘として紹介されています)。おそらく風刺的な表現で、本をたくさん持っているのに読まない先生のことだろう、と。

そのうえで教授は、日本語の「積読」には stigma(不名誉なニュアンス)がないと述べています。英語圏では「買ったのに読んでいない」に後ろめたさが伴いがちで、そこが新鮮に映ったようです。言われてみれば、日本語で「積読が増えちゃって」と言うとき、あの語調はどちらかというと自慢に近い気もします。

未読の本を「アンチライブラリー」と呼んだ人

積読を積極的に擁護した人もいます。

ナシーム・ニコラス・タレブは2007年の著書『ブラック・スワン』で、作家ウンベルト・エーコの蔵書について書いています。エーコの個人図書館は3万冊。訪ねてきた人はたいてい「わあ、何冊読んだんですか」と聞くけれど、そこが分かっていない、というのがタレブの主張です。

タレブはこの未読の本のかたまりを antilibrary(アンチライブラリー) と名づけました。「読んだ本は、読んでいない本よりずっと価値が低い。蔵書には、財力が許すかぎり自分が知らないことを詰め込むべきだ」。書棚は知識を誇るための飾りではなく、自分が何を知らないかを毎日突きつけてくる道具だ、という考え方です。

読んでいない本の背表紙は、「まだここに行っていない」という印になります。江戸の三読法から、タレブのアンチライブラリーまで、けっこう地続きです。

アムにも、積読を持ち寄る会があります

アムでも「あくまでゆる~~~い 積読消化会」という会をこれまで開いてきました。2025年3月22日に開催したのがVol.6です。

やることは単純で、積んだままの本を1冊持ってきて、前半でそれを紹介したあと各自で黙って読み、後半に感想や雑談を共有する、という流れ。「1ページでも読めればOK」「寝ちゃってもOK」という前提でやっています。読み切ることが目的ではないので、進み具合を人と比べる必要もありません。

詳しい内容は当時の告知記事に残っています。→ 「あくまでゆる~~~い 積読消化会 Vol. 6」

読書会そのものがどういう場なのかについては、読書会は、実際のところ何をする場なのか にまとめてあります。ひとりで黙々と読みたい日は、アムの席で本を広げるだけでも大丈夫です(席の使い方は こちらのページ でも触れています)。

ちなみに、日本語のことばや文化の背景をもう少し掘った話は、別サイトの JAPAN MMM のほうで書いています。

参考にした資料